ごあいさつ
こんにちは。ギジレンの佐藤です。
ぼくたち、わたしたちギジレンは今年の12月9日から2020年の1月6日までのおよそ1ヶ月間、劇場を借りました。
その1ヶ月をギジレン特別本公演「5さい」と銘打ち、その間にオープニングイベント、新作公演「ギジレン島最後の7日間」、佐藤辰海演劇祭、年越しイベント、再演作品「土木座」をやります。この公演に携わる俳優やスタッフさんは70人ほどでしょうか。なんということでしょう。
「よくそんな無茶するね」とよく言われます。ぼくたちもそう思います。
劇場さんに「ひと月貸してください」と電話したとき、ぼくの背後で劇団員たちが大笑いしていました。
電話を切ったあと、ぼくも大笑いしました。
こんなバカなことってある? アルバイトで生計立ててる役者数人の集まりが、ひと月劇場借りて公演やるなんて聞いたことない!
きっとみんなびっくりするぞ~。と。
でもみんな内心ではわかっていました。笑ってる場合じゃないことを。
電話する前からわかっていたはずでした。
お金どうするんだろうとか、この1ヶ月全くアルバイトできないなとか、お客さん来てくれるのかなとか、問題は山積みです。乗り越えられるのかどうか、誰にもわかりません。
実は冗談半分でした。冗談半分で1ヶ月劇場を借りました。
だけど劇団員の誰一人「やめようぜ」って言わなかったのはきっと、ぼくたちみんなが同じ夢を見てるからだと思います。
冬、ギジレンは5歳になります。誕生日が何月何日だったかは忘れてしまいました。
ただ2014年の秋口に「やろう!」と思い立って、門田くんを誘って、そこに渡辺くんが「俺も入りたいな」と言ってきたのは覚えています。
右も左も分からなかったけれど、どうにか「演劇」をやろうと、なんとか旗揚げ公演を打ちました。12月でした。
「センチメンタル・ジャーニー」という作品です。
記録映像を見返すと、目も当てられないくらいに稚拙で、未熟で、恥ずかしくて、それでも異様に必死で、汗だくで、楽しげでした。
あれから5年、褒められたことばかりじゃなかったと思います。まだまだ不勉強で、毎日自分の未熟さを痛感しています。本当に毎日。
だけど味方も増えて、お客様も、自ら「ファン」を名乗ってくださる方も増えてきました。なんということでしょう。
当初は「30歳までに芽が出なければ芝居やめる」などと口走ったりもしていましたが、
今ではそんなことはまったく思いません。アルバイトだろうが食えなかろうが、ぼくは一生劇団をやるでしょう。
それほどぼくはいま演劇が楽しくて、幸せです。
でも生活は苦しく、脚本が書けないと血が出るまで肌(尻)を掻きむしったりもします。
弱音も吐きます。それでも本番が終わると笑い、今度はもっと大変な課題を立てるのです。
どうかしています。どうかしているけど、やれるうちはどんどん課題を大きくしていきます。それだけ乗り越えられたとき楽しいから。
幸せだけれど、まったく満足はしていないのです。
次の次の次のその次の次にはいったいどんな無茶がぼくたちを待っているのか、そしてぼくたちはそれを乗り越えられるのか、
そのときも楽しげでいられるのか、そしてそのときもまだヘタクソなんだろうかとか、それはちょっとおもしろいなとか、色々想像します。
演劇はワクワクです。
5歳、アニバーサリーとしては大したことないかもしれません。10周年とか、20周年に比べたらそれは、もちろん。
でも昨年2000人近いお客様にギジレンを知っていただいて、改めて自己紹介するには良い折だなと思い、
ぼくたちの向こう見ずを見て欲しくて「5さい」を企画しました。5歳児は向こう見ずなのです。
ああバカだな。だけど妙に楽しげだな。私、俺までなんだか楽しいな。そんな風に思ってもらえたら最高です。
ちなみに「5さい」の動員目標は3000人です。
3000人というと、代官山駅の一日の乗降人数の10分の1、よりちょっと少ないくらいですね。
あんな急行も止まらない、オシャレな雰囲気だけでもってる町の、「一日の」「10分の1、よりちょっと少ない」くらいです。
ショッキングな数字です。でもお客様は数字ではありません。ひとりひとりが審美眼を持ったギジレン評論家です。
いよいよ冷や汗が出ますね。
でも借りちゃったものは仕方ありません。投げ出すわけにはいかないのです。実はもう大人なので。
ここでコケたら夢が遠のくでしょうか。いいえ、コケたらそれすら笑い話にすると思います。
無敵です。
今日はここまで。
また書き直したり、書き加えたりしますね。
よろしくお願いします。
ギジレン主宰 佐藤辰海