さぁ、そいつを取り戻そうぜ!
みたいな意味です。
何を? 奪われた赤ちゃんと、なんか生きがいと、私たちの夢みたいなやつを。
これitを抜くと、私たちがトゥギャザーだったあの頃に帰ろう!
みたいな意味になるんです。
旗揚げ公演の再演にふさわしいコピーです。
2014年冬、右も左もわからなかった(今もわからない)私たちの情熱だけの旗揚げ公演「センチメンタル・ジャーニー」は
270数人のお客様の、熱烈な拍手によって幕を下ろし、大赤字を残しました。
チケット代は2000円。出演者は11人。
舞台監督さんも、照明さんも、音響さんも、制作さんもダンサーさんもメイクさんもいませんでした。
今回の再演ではみんないます。
4年間でずいぶん劇団らしくなったなと思います。まったく予想していなかったことです。
脚本は読み返すのが恥ずかしいほどに稚拙で、荒々しく、そして衝動的です。
就職活動を一切せず、劇団をやって生きていくぞと決意した無謀な若者の、先の見えない未来に対する怯えと、それに抗う気迫に満ちています。
当時の脚本をそのまま上演するには、私たちはもう、あまりに打算的で、あまりに知ったかぶりをするようになってしまいました。
4年前、終演後、私に泣きながら手を差し出す人がいました。
内気で、声が小さくて、私たちでも何を考えてるんだかわからないようなうちの息子が、
舞台の上では生き生きと、立派に、堂々と立っていて、大きな声で話していたのが、とても嬉しかった。と。
そのお母さんは、上京した息子の初舞台を見るためにはるばるやってきて、こうして私の手を握り、涙を流しているのだと思うと、
「お母さんごめんね、もっと大きな舞台だったらよかったけど」
「お母さんごめんね、ぼくなんかまだまだ未熟で、恥ずかしいけど」
「お母さんごめんね、役とは言え息子さんのファーストキスを奪ったのは私です」
口から出たその言葉のどれも心情を表すには間違っていて、だけどとにかく私もありがとうありがとうとお母さんの手を握り返しました。心が震えました。
バカでも、ヘタクソでも、恥知らずでも、楽しめる、楽しませられる。誰かを感動させられる。
そこには打算も、啓蒙も、あるに越したことはないけど技術も、知識も体裁もいらない。
そのことを今一度思い出したいのです。
帰ってきたセンチメンタル・ジャーニー。
ちょっぴり大人になったguizillenの再演です。
脚本・演出 佐藤辰海